料理人のシェア80%超「堺の包丁」
日本における堺の包丁のシェアは6%に満たないのですが、それにも関わらず、料理人の使う包丁の80%超が堺の包丁といわれています。これこそ、堺でつくられる包丁の質の高さの証です。

包丁の切れ味で、料理がかわる

「よく切れる包丁が欲しい」、なぜそう思うのか、それは切れない包丁を使っているからです。
包丁とはただ食材を切るためだけの道具なのに、なぜその存在価値ともいえる切れ味の悪い包丁を使い続けるのでしょうか。
毎日のご飯を作る苦労、それは切れない包丁に手を焼き、調理を面倒だと感じてしまうからです。
料理人は言います、「包丁で味が変わる」、味わった人は言います、「包丁が料理を変える」。
包丁は素材や仕上げ、そして職人の技術の違いでまったくの別物になります。芸術とも呼べる刃が作りだす鮮やかな切り口。
野菜には角が立ち、切った面は心地よい舌触りを演出します。初めて使った時、力を掛けずにまるで包丁が引っ張ってくれるような
使い心地に思わず感動し、切ることが楽しくなります。
堺が作り上げた日本の包丁

堺では600年に渡り鉄を叩き、鋼を鍛え上げ、職人の業と技術を高めてきました。
その為、堺には包丁というものを作れる職人がいません。
包丁は、鍛冶・刃付け・柄作り・柄付けという工程を経て生まれてきます。
その一つ一つの技はあまりに奥が深く、限りなく頂が高い為、その全てを
身に付けるためには一生が足りないのです。
その結果、それぞれの道を究めた専門の職人がいるのです。
鍛冶師は鍛冶だけに、刃付け師は刃付けだけにその一生を―捧げます。
一生を包丁に捧げる職人

実際に堺を訪れてみました。薄暗い鍛治場の中で赤裸々に熱を発する炉、その炉からわずか30cm程の所に立った、腰と背中が不自然に曲がった70過ぎの鍛冶職人がこちらに気づかず鉄を打っていました。
炉の熱を直に請けながら、耳に突き刺すような鉄を叩く音、熱を避けながら炉を不自然な姿勢で覗き込むために変形した体。その一打一打に込められた50年分の技。想像もできない時間、何十年も一人暗がりで打ち続ける孤独な空間。
「鉄の声が聞こえる」、「鉄と話ができる」そんな言葉にグッと現実味が帯びてきました。技術的なことは解らない。見ても何も解らない。理解はできない。ただし、そこで作られているものが本物である事だけは強く納得させられました。